スペイン紙『エル・パイス』から、メッシとタトゥー・アーティストのロベルト・ロペスに関する記事を紹介する。
「大切なものを身体に刻み込んでいる」
タトゥーを好むプレイヤーは、いつもこう言って、チームのエンブレムや、獲得したタイトル、自分の好きなプレイヤーなどのタトゥーを彫る。アルゼンチンのタトゥー・アーティストの元には、こうしたサッカー関連のデザインや、家族や愛する人、宗教的なデザインなどの依頼がひっきりなしに舞い込んでくるそうだ。タトゥーを好んでいるサッカー選手も多く、とりわけ現在のアルゼンチン代表は歴史上最もタトゥーをしているプレイヤーが多いかもしれない。
ロベルト・ロペスとメッシ、友情の始まり
「パレルモ、モラ、ピスクリチ…」
ロベルト・ロペスはアルゼンチンで最高のタトゥー・アーティストの一人だ。これまでに彼の手でタトゥー彫った選手の名前が、まるでラップを歌うように次々にあげられる。彼は主にマル・デル・プラタにある「Eikeel Tatto」とブエノス・アイレスにある「Denim Demon Tattoo」で仕事をしていた。
しかし、ある日の午後に突然鳴った電話によって彼の仕事は大きく変わることになった。その電話の主はレオ・メッシだったのだ。この一本の電話を機に、世界最高の選手とロペスとの友情が始まったという。
最初に連絡があったのは2014年の12月。当時メッシは片方の脚にタトゥーを入れていたが、腕にタトゥーを入れるために新しいタトゥー・アーティストを探していた。 バルセロナの10番に込めた覚悟を刻むためにいくつかのデザインをミックスしたものを彫ろうとしていたようだ。カメラに見せるためのものではなく、自らの強い気持ちを身体に刻み込もうとしていた。
「電話を受けて、バルセロナに行かないといけないと分かりました。シーズン中でメッシはマル・デル・プラタに来れなかったからです。すぐにWhattsAppでメッシとメッセージを交換し、何度かデザイン画を確認してもらいました」
バルセロナへの旅費はすべてメッシが負担し、真冬のヨーロッパを初めて訪れたロペス。そのときには、3度の施術をしたそうだ。 その間にもメッシはリーグ戦に出場していたが、周囲に気付かれないように長袖のユニフォームを着てプレーをしいた。
「バルセロナに到着したとき、夢じゃないかと気になって何度も自問自答しました。こんなことになるとは信じられなかったんです。メッシは私に『僕の家で休んでください』と言ってくれましたが、目立たないようホテルに泊まることにしました。メッシはメディア上でのイメージとは正反対でとても謙虚な人でした。驚きましたね」と当時のことを語るロペス。
メッシのタトゥーのデザイン
「ボツになったデザインはほとんどありませんでした。とはいえ、タトゥーを入れる前の準備は必要でした」とロペス。メッシはサグラダファミリアに関連するデザインを希望していて、肘にサグラダファミリアの側面を彫ることにしました。ロペスによると、すべてデザインはメッシの要望に基づいているようだ。
「蓮の花、ロサリオの町(メッシの故郷)のシルエットをしたロザリオ、そしてそのロザリオの下には南米とヨーロッパの夜空で見ることができる星座、ばらばらになった時計。肩には十字架、上腕部の内側にはアントネラ(メッシの奥さん)の目、蓮の花を飾り立てるように桜の花も彫りました」とデザインを説明する。
メッシによると、時計は時が止まったことを象徴しているという。ロペスによると「もし時を止められるならこの瞬間がいい」という意味が込められているという。また、蓮の花は湿地に咲く花で乾燥すると死んでしまうことから選ばれた。日本では、どこから来た花かということより、その花がどこで咲くかが重要なのだという。メッシはこの考え方が気に入ったそうだ。桜の花は生まれ変わりを意味していて、永遠に続く人生のサイクルを象徴しているとのこと。
メッシがこのようなタトゥーを入れた数日後に息子のチアゴの妊娠が判明したという。そして、右の腕に王と王女二つの王冠を追加したそうだ。
ロベルト・ロペスは、その後もメッシと関係を深め、今ではメッシのみならず、スアレスやネイマールとも親交をもっているようだ。
もしメッシのようなタトゥーを入れたいのであれば、マル・デル・プラタにある「Eikeel Tatto」かブエノス・アイレスにある「Denim Demon Tattoo」に連絡を取ってみるといいだろう。
- Eikeel Tatto
https://www.facebook.com/Eikeel-Tattoo-133778326714593/ - Denim Demon Tattoo
https://www.facebook.com/DenimDemonTattoo/