スパイク4

有名サッカー選手が履いていたスパイク18選(前編)

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1. ペレ

メーカー:プーマ

スパイク:キング

ペレ、本名エジソン・アランテス・ド・ナシメント(1940年10月23日生)は、史上最高のサッカー選手の一人と広く認められているブラジル人元プロサッカー選手だ。

FIFA ワールドカップで唯一3回優勝(1958年、1962年、1970年)を果たした選手として知られる。卓越したドリブル技術、爆発的な運動能力、そして驚異的な得点力で世界中のファンを魅了し、サッカー界に革命をもたらした。

貧困家庭に生まれながら、15歳でサントスFCと契約。その後、チームの象徴的存在となる。

ペレの影響力はピッチを超え、社会貢献活動にも尽力。カリスマ性と社会正義への献身で、多くの人々の模範となった。

主な功績は、ブラジル代表として3度のW杯優勝、通算1200得点以上、FIFA今世紀最高の選手賞(2000年)など。

2022年12月29日、82歳で逝去。しかし、その遺産は今後も多くの世代に影響を与え続けるだろう。

2. リバウド

メーカー:ミズノ

スパイク:ウェーブカップ

リバウド(本名:リバウド・ヴィトル・ボルバ・フェレイラ)は、1990年代から2000年代初頭にかけて活躍したブラジル人サッカー選手だ。

攻撃的ミッドフィールダーとして、優れたドリブル技術と強力な長距離シュート、創造性で知られる。1999年にバロンドールを受賞し、史上最高の選手の一人と評価されている。

デポルティーボ・ラ・コルーニャ、FCバルセロナ、ACミラン、オリンピアコスなど名門クラブでプレー。特にバルセロナでは、ロナウド、ルイス・エンリケとの攻撃トリオで大きな成功を収めた。

ブラジル代表では、ロマーリオ、ロナウドとともに「3R」と呼ばれる攻撃陣の一角を担い、2002年FIFAワールドカップ優勝に貢献した。

華麗なプレースタイルと素晴らしいゴールで記憶され、現役引退後はコーチングに携わっている。ペレほど広く知られていないが、ブラジルサッカー界の伝説的存在として確固たる地位を築いている。

3. ルイス・フィーゴ

メーカー:ナイキ

スパイク:エア・ズーム・トータル90Ⅱ

ルイス・フィーゴ(1972年11月4日生)は、世代最高の選手の一人と評される元ポルトガル代表サッカー選手だ。卓越したドリブル技術、正確なパス、そして創造的なプレーメイクで知られる。

地元リスボンのスポルティングCPでキャリアを開始し、1995年にバルセロナへ移籍。ロナウジーニョとの攻撃コンビで黄金期を築き、2度のリーガ優勝など数々のタイトルを獲得した。

2000年、当時の世界最高額6200万ユーロでレアル・マドリードへ電撃移籍。この「裏切り」はバルサファンの激しい反発を招いたが、レアルでは「ガラクティコス」時代の中心選手として活躍。2度のチャンピオンズリーグ制覇に貢献し、バロンドールも獲得した。

2005年にインテル・ミランへ移籍、4度のセリエA優勝に貢献して2009年に引退。ポルトガル代表では127試合に出場し、ユーロ2004優勝の立役者となった。

フィーゴは史上最高のウィンガーの一人として、そのスキルと功績、そして物議を醸した移籍で、サッカー史に深い足跡を残している。

4. クリスティアーノ・ロナウド

メーカー:ナイキ

スパイク:マーキュリアル・スーパーフライ CR7

クリスティアーノ・ロナウド(1985年2月5日生)は、史上最高の選手の一人と評価されるポルトガル出身のサッカー選手だ。

8歳でサッカーを始め、スポルティングCPを経て、2003年にマンチェスター・ユナイテッドへ移籍。プレミアリーグ3連覇やUEFAチャンピオンズリーグ制覇に貢献し、2008年にバロンドールを初受賞した。

2009年、当時の世界最高額でレアル・マドリードへ移籍。9シーズンで450得点以上を記録し、クラブの歴代最多得点者となる。4度のチャンピオンズリーグ制覇を含む多数のタイトルを獲得し、3度のバロンドール受賞。

その後、ユベントス、マンチェスター・ユナイテッドを経て、2022年末にサウジアラビアのアル・ナスルへ移籍。

ポルトガル代表では190試合以上に出場し、117得点以上を記録。ユーロ2016優勝の立役者となった。

ロナウドは、スピード、ドリブル、フィニッシュ力、運動能力に優れ、5度のバロンドール受賞を含む数々の個人タイトルを獲得。その献身と才能で世界中の人々に影響を与え続けている。

5. サミュエル・エトー

メーカー:プーマ

スパイク:プーマ V1.06

サミュエル・エトー(1981年3月10日生)は、カメルーンのサッカー界の伝説的存在で、現在はカメルーンサッカー連盟会長を務めている。アフリカ史上最高の選手の一人と広く認められている。

キャリアを通じて、レアル・マドリード、バルセロナ、インテル・ミラン、チェルシーなど欧州の名門クラブでプレー。3度のUEFAチャンピオンズリーグ制覇を含む多数のタイトルを獲得した。

カメルーン代表では歴代最多得点(56得点)を記録。4度のFIFAワールドカップ出場と2度のアフリカネーションズカップ優勝に貢献した。

個人賞では、アフリカ年間最優秀選手賞を最多の4回(2003年、2004年、2005年、2010年)受賞。その他多くの栄誉を獲得し、サッカー界の偉大な選手としての地位を確立した。

2019年に現役引退後、2021年にカメルーンサッカー連盟会長に就任。エトーの卓越した才能と功績は、特にアフリカの若手選手たちに大きな影響を与え続けている。

6. アリエン・ロッベン

メーカー:アディダス

スパイク:F50

アリエン・ロッベン(1984年1月23日生)は、卓越したドリブル技術と強力な左足、そして特徴的な「カットインからのシュート」で知られるオランダの元サッカー選手だ。

クラブキャリアでは、フローニンゲン、PSVアイントホーフェン、チェルシー、レアル・マドリードを経て、バイエルン・ミュンヘンで最も輝かしい10年間(2009-2019)を過ごした。バイエルンでは、ブンデスリーガ8回優勝、DFBポカール5回優勝、UEFAチャンピオンズリーグ優勝(2013年)など、数々のタイトルを獲得した。

オランダ代表では、3度のFIFAワールドカップ(2006年、2010年、2014年)に出場し、2010年大会では準優勝に貢献した。

ロッベンは、右サイドからカットインして左足でシュートを放つプレースタイルで恐れられた。重要な試合で決定的なゴールを決める大舞台に強い選手としても知られ、ファンに愛された。

2019年に現役引退。コーチングや親善大使などの役割を通じてサッカーに関わり続けている。

ロッベンは世代最高のウィンガーの一人と評価され、そのスキルと情熱で多くの若手選手に影響を与え続けている。

7. ロベルト・カルロス

メーカー:ナイキ

スパイク:トータル90Ⅲ

ロベルト・カルロス(1973年4月10日生)は、史上最高の左サイドバックの一人と評価されるブラジル出身の元サッカー選手だ。強力な左足とフリーキック、攻撃的なプレーで知られる。

1991年にウニアン・サンジョアンでデビューし、1993年にインテル・ミランへ移籍。1996年からレアル・マドリードで11シーズンを過ごし、世界的スターとなった。

レアル・マドリード時代には、リーガ・エスパニョーラ4回優勝、UEFAチャンピオンズリーグ3回優勝を含む数々のタイトルを獲得。個人としても2002年にバロンドールとFIFA世界最優秀選手賞を受賞し、2004年にはFIFA100に選出された。

ロベルト・カルロスは、強力なシュートと正確なクロス、そして驚異的なフリーキックで記憶されている。攻撃的なサイドバックとして、常に左サイドから脅威となるプレーを見せた。

2015年に現役引退後も、コーチや親善大使としてサッカーに関わり続けている。

攻撃的なプレースタイルと魅力的な人柄で、世界中のファンに愛され、多くの左サイドバックに影響を与えた伝説的選手として、サッカー界に大きな足跡を残している。

8. ウェイン・ルーニー

メーカー:ナイキ

スパイク:トータル90レーザー

ウェイン・ルーニー(1985年10月24日生)は、イングランドのサッカー界を代表する選手の一人で、現在はプロのサッカー監督を務めている。

選手としての主な功績:

  • マンチェスター・ユナイテッドの歴代最多得点記録(253ゴール)を保持。
  • イングランド代表でも53ゴールを記録し、2023年7月まで最多得点記録を保持(その後ハリー・ケインに抜かれる)。
  • マンチェスター・ユナイテッドでプレミアリーグ5回優勝、UEFAチャンピオンズリーグ1回優勝など、数々のタイトルを獲得。
  • イングランド代表として3度のFIFAワールドカップと2度のUEFAユーロに出場。

プレースタイル:
強力なシュート、ヘディング力、優れたパス技術、高い運動量とリーダーシップを持ち、ストライカー、攻撃的ミッドフィールダー、ウィンガーとして活躍できる多才な選手だった。

2021年に現役引退後、監督に転身。現在はEFLチャンピオンシップのプリマス・アーガイルの監督を務めている。

ルーニーは、その卓越した得点力と数々のタイトル獲得により、イングランドサッカー界の伝説的存在として認められている。

9. エリック・カントナ

メーカー:ナイキ

スパイク:ティエンポ

エリック・カントナ(1966年5月24日生)は、フランス出身の元サッカー選手で俳優。カリスマ性、リーダーシップ、卓越した才能、そしてピッチ内外での物議を醸す行動で知られる。

フランスのリーグでは、モンペリエとオリンピック・マルセイユで活躍し、リーグ1を計5回制覇。

1992年、マンチェスター・ユナイテッドへ移籍。アレックス・ファーガソン監督の下で伝説的存在となり、プレミアリーグ4回優勝、FAカップ2回優勝などに貢献。その情熱と創造性で、チームに勝利の精神を植え付けた。

1995年には、クリスタル・パレスのファンに対する「カンフーキック」事件で8か月の出場停止処分を受けたが、これが彼の神秘性と人気をさらに高めることとなった。

フランス代表では21試合に出場し4得点を記録。

1997年、31歳という若さで引退。その後、俳優として成功を収め、サッカー関連のプロジェクトにも携わっている。

カントナは、その類まれな才能とカリスマ性、そして物議を醸す行動で、世代を代表する最も魅力的な選手の一人となった。マンチェスター・ユナイテッドとプレミアリーグに与えた影響は計り知れず、今も多くのサッカーファンに影響を与え続けている。

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