過酷な幼少期

貧困、戦争、貧乏。過酷な環境から成りあがったサッカー選手7人 テベス、アグエロ、サンチェス、モドリッチなど

今この瞬間も、世界中の街角では何千もの少年たちが、世界一の選手になることを夢見てサッカーボールを蹴っている。残念ながらそのほとんどはかなうことはないが、一握りの少年が将来その夢を実現することになることもまぎれもない事実だ。

この記事では、サッカーによって生活を劇的に変えた有名現役選手7人を紹介する。貧困や戦争などの過酷な状況からボールひとつで抜け出した彼らの人生に迫る。

1. カルロス・テベス

”フエルテ・アパチェ”と呼ばれるブエノス・アイレス近郊のスラム街で育ったカルロス・テベス。サッカー界広しといえども、彼の経歴は最も驚異的な成り上がり物語のひとつと言える。

実の父フアン・カルロス・カブラルが銃に打たれて亡くなった後、カルロス・テベスは叔父のセグンド・テベスと、実母ファビアナの姉妹であるアドリアナ・マルティネスによって育てられた。実母ファビアナも重度のアルコール依存によって早くにこの世を去っていたためだ。

テベスのサッカー選手としての第一歩は、ブエノス・アイレスの少年チーム「オール・ボーイズ」のコーチをしていたノルベルト・プロパトが彼をチームに誘ったことがきっかけた。石ころを蹴るテベスの姿を目にしたノルベルトが、養父であるセグンド・テベスに「息子をチームに連れてこないか」と話しかけたそう。

 

A post shared by Carlos Tevez (@tevezoficial) on

 

「あの子を連れていくことはできないよ。サッカーをする靴がないんだ」

ノルベルトからの誘いに対して、養父は最初このように答えたという。彼らはサッカーシューズを買うことができないくらい貧しかったのだ。

オール・ボーイズでキャリアをスタートさせた後、ボカ・ジュニアーズ、コリンチャンス(ブラジル)、ウエストハム(イングランド)、マンチェスター・ユナイテッド、マンチェスター・シティ、ユベントス(イタリア)と南米からヨーロッパへ活躍の場を移したテベス。

2016年には中国の上海申花に移籍し、サッカー選手としては世界最高の年俸を手にすることになった。現在のテベスの収入は、およそ50億円と言われている。

2. アンヘル・ディ・マリア

現在パリ・サンジェルマンでプレーをするアンヘル・ディ・マリアだが、小さい頃は真っ黒な手をしてサッカーの練習場に通っていたそうだ。貧しい家庭に生まれたディ・マリアは、炭鉱で働く父ミゲルを手伝って、練習に行く前に石炭の運搬を手伝っていたからだ。

母ディアーナの勧めで、地元のクラブ「エル・トリート」でサッカーを始めたディ・マリア。一年間で64ゴールを決めるなど、メキメキと頭角を現したディ・マリアは数年後にはロサリオ・セントラルに所属し、アルゼンチンの9部リーグでデビューすることになった。

その後、2007年にポルトガルのベンフィカに移籍し、2010年にレアル・マドリードへ。マンチェスター・ユナイテッドを挟んで、現在はパリ・サンジェルマンでプレーをしている。

ディ・マリアは家族を大事にしていることでも有名で、実家への仕送りを欠かさずに行っている。ベンフィカに移籍した際には家族に家をプレゼントし、父親には「もう働かなくていいよ」と伝えたそうだ。

3. クリスティアーノ・ロナウド

ポルトガルのマデイラ島にある街フンシャルの貧しい地区に生まれたクリスティアーノ・ロナウド。決して恵まれた環境に生まれたわけではないが、今ではサッカー界のトップスターになり、スポーツ選手として世界一の収入を稼いでいる。

2017最新フォーブス世界長者番付 ヨーロッパ一位はハリポタ、スポーツ選手一位はロナウド

ロナウドの父デニス・アヴェイロは腎臓の病気で2005年に他界しているが、アルコールに依存した生活を送っていた。そのため、幼い頃のロナウドは家にいることを好まず、いつも道ばたでボールを蹴って時間をつぶしていたそうだ。

 

A post shared by Cristiano Ronaldo (@cristiano) on

地元のクラブCFアンドリーニャでサッカーを始めた後、同じくマデイラ島にあるナシオナルに移籍、その後ポルトガルの首都リスボンにあるスポルティングを経て、イングランドのマンチェスター・ユナイテッドに移籍をして、一気にトップ・プレイヤーの仲間入りをした。2009年からは憧れのクラブであったレアル・マドリードに所属し、名実ともにクラブの「顔」として活躍している。

小さい頃に約束した「家族を貧しい生活から救い出す」という誓いを見事に果たしている。


4. アレクシス・サンチェス

アーセナルのFWアレクシス・サンチェスはチリのトコピージャに生まれた。この街は現地で「悪魔地帯」と呼ばれており、まともな仕事もほとんどないそうだ。この街の貧困地域に生まれた人々の多くは結局アルコールとドラッグ漬けの日々を送ることになってしまうという。サンチェスもそんな地域に生まれた一人だ。

彼の母マルティナはシングルマザーだったため、女手一つでサンチェスと三人の姉妹を育てていた。煉瓦と木で作った貧しい家に住み、清掃員として働いて、なんとか家族を養ったそうだ。

 

A post shared by Alexis Sanchez (@alexis_officia1) on

アレクシス・サンチェスが8歳の時に、叔父夫婦の誘いでランカグアに移住し、彼らと一緒に暮らしながらサッカーの学校に通うことなった。

しかし、サンチェスは家族と離れて暮らす生活になじめなかったため、数か月で実家に戻ってしまった。その後は、車を洗って小銭を稼いでなんとか生活をしながら、勉強することもできず、貧困から抜け出すにはサッカーで成功するしかないと意思を固めたそうだ。

その後、15歳になった2003年にコブレロアに入団し、16歳の時にデビューを果たした。ウディネーゼ、バルセロナなどを経て、現在はプレミアリーグのアーセナルでプレーしている。

5. ロナウジーニョ

ロナウジーニョは、ブラジルのポルト・アレグレに住む貧しい一家に生まれた。彼に最初にサッカーを教えたのは9歳年上の兄のロベルトだったという。

兄ロベルトもグレミオなどでプロサッカー選手として活躍(日本のコンサドーレ札幌でもプレー経験がある)するほどの実力者だったが、弟ロナウジーニョの素質を早くから見抜き、彼がプロデビューするときには現役を引退してロナウジーニョの代理人になった。

貧しい一家に追い打ちをかけるように、ロナウジーニョが8歳の時に事故で父親が他界しており、その後は兄ロベルトが父親代わりになって一家を支えたという。

ロナウジーニョは1997年に故郷ポルト・アレグレにあるグレミオでプロデビューを果たした。この年、ロナウジーニョはU-17ワールドカップにブラジル代表の一員として参加し、得点王および世界一に輝いた。

2001年にはブラジルを離れてフランスのパリ・サンジェルマンに移籍。しかし、クラブとの契約上の問題や監督とうまくいかなかったこともあり、2003年夏には移籍金25百万ユーロでFCバルセロナに移籍した。バルセロナでは一時代を築き、バロンドールも獲得。今ではクラブのアンバサダーとして活躍している。

6. セルヒオ・アグエロ

「自分は7人兄弟の上から2番目で、父はトラックの運転手、母は主婦だった。僕たち一家は1日3ユーロ(約400円)以下で過ごしていたよ」

アトレティコ・マドリードに移籍した際に、アグエロはこのように述べた。

ブエノス・アイレスの中でもとりわけ貧しい地域のひとつであるビジャ・イタティに育ったセルヒオ・アグエロ。アグエロの父に「息子のプレーを見てくれ」とせがまれた地元の記者エドゥアルド・モトネタ・ゴンサレスが、ひと目見て彼のプレーを気に入り、インデペンディエンテに推薦したことが、アグエロにとってサッカー選手としての第一歩であった。

現在はプレミアリーグのマンチェスター・シティに所属しており、得点王争いの常連として活躍している。世界でも有数の高給取りの一人だ。

7. ルカ・モドリッチ

レアル・マドリードのMFモドリッチの幼少期はユーゴスラビア紛争のまっただ中だった。クロアチアの小さな村で家族と一緒に暮らしていたモドリッチだが、1991年、彼が6歳の時に、激しさを増した戦火から逃れるために一家でザダルに移住をせざるを得なくなった。

「モドリッチは祖父が目の前で殺害される様子を目撃している。虐殺から逃れるためには、険しい森と山を越えてザダルに逃げるしかなかったんだ」

モドリッチが所属していたNKザダルのディレクターはこのように語った。

モドリッチはザダルのホテル・クロヴァレで家族と新生活をスタートし、地元のNKザダルのユースチームで本格的にサッカーを始めた。モドリッチの才能を見抜いた当時のホテルの従業員が、クラブに推薦したことがきっかけだという。

 

A post shared by Luka Modric (@lukam10) on


「レアル・マドリードでプレーして、クロアチア代表ではキャプテンをつとめている。他に何を望むんだ?」と過去にコーチを務めたロベルト氏。「モドリッチの人生は困難ばかりだったが、彼はそれをすべて乗り越えてきた。この事実が彼のすばらしさを物語っているよ」と続けた。